私の価値が分からないような人に大事にされても無駄。

 

自分で言うのもナンだけど、昔からとかく他人に舐められやすいタイプの人間だった。

 

それは身体のサイズからなのか、ぼけっとしてそうな雰囲気からなのか。他人知人問わず舐められてしまうので、まあ要因はひとつではないのだろうと理解している。

 

若い頃はそれなりに悩んで、自分なりに色々考えたりもした。

濃すぎるメイクに、数もサイズも度を超えたピアス、似合わないタバコは、もしかしたら周囲に対する威嚇の意味もあったのかもしれない。(当時は単純にソレがイケてると思ってたけど!)

 

だけどどれだけ見た目を武装しても、やっぱりいっつも舐められがちなことには変わりがなくて。他人にぞんざいに扱われたり、高圧的な態度を取られたりする度にイライラしたりしょんぼりしたりと、若い頃はとにかくメンタルが安定していなかった。

 

そんなわたしだけど、歳を重ねて気がついたことがある。

自分に舐めた態度を取る人のことで悩むことがなくなったのだ。

勿論、瞬間的にイラッとすることはあるけれど、基本的には次の日まで引きずらない。あんなに不安定なメンタルな持ち主だったのに、この変化はなんなんだろう。

 

その最たる要因は、自己肯定感の向上だと思う。

 

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自己肯定感が高まったことで、心外な態度を取られた場合も『まあこの人とわたしじゃ、人間としてのレベルが違うから仕方ないか』と飲み込めるようになった。

 

ヘラヘラ笑ってやり過ごしたり、時にはとりあえず謝ってみたり。そういう人に対してこんなリアクションをとることも厭わない。何故なら、人間としてのレベルが違うから。

そんな風に受け流したところで、わたしの価値が傷つくことは一切ないのだ。

一歩間違えたら高飛車でイヤなやつの思考回路かもしれないけど、それでもこのマインドのお陰でわたしの精神はうんと安定している。

 

この境地に達することができたのは、ひとえに今わたしの周りにいてくれる人たちのおかげだと思う。

岡山の家族も、東京の家族(さだちゃん)も、言わずもがなお友達も。わたしの周りにいる人は、みんなわたしを愛して、大切にしてくれる。

自分の大切な人が、自分のことを大切にしてくれているおかげで、人生においてどうしてもエンカウントしてしまう有象無象からの評価なんて、心からどうでもいいと思えるようになったのだ。

 

多分きっとこれからも、わたしは舐められ人生を歩むだろうけど。わたしの価値も分からないような人に大事にされても無駄なので、へらへら適当に流しながら生きていくんだと思う。

 

宇多田ヒカルを聴きながら、そんなことを考える、水曜日の中央線。

 

PINK BLOOD

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