一時間に一本。乗り換え無しで静岡と岡山を繋ぐ、新幹線ひかり号。
今年この新幹線に乗るのは何度目だろうか。
引っ越してからほぼ毎月、月の1/3程度を岡山で過ごさせて貰った。きっと、今年はこれが最後。
先月、最愛の父を見送った。
近親者が取り囲んだ自宅のベッドで静かに逝けたことは、父にとっても遺された我々にとっても、とても幸せなことだったんだと思う。
後悔がないと言ったら嘘になる。
18歳で実家を離れたわたしは、兄妹の中で一番、親と暮らした時間が短い。
もっと色んなことを教えて貰いたかったし、沢山お出かけがしたかった。
親孝行らしい親孝行は、なにもできなかった。
父との思い出はたくさんあるけど、ふと思い出すのは案外なんてことない日常のワンシーンだったりする。
実家で幼馴染一家の女性陣とお茶をしていた時に、好みのタイプについて話が及んだことがある。
その時わたしは媚びでもなんでもなく『父みたいな人』と答えた。家族思いで知的好奇心に溢れ、多趣味でフットワークが軽い男性なんて、そりゃ満点じゃないかと、今でも思う。
その翌日、確か東京に戻る日に、母がそっと一万円を渡してきた。
どうやら、わたしが『好みの男性はお父さん』と言ったことを本人に伝えたところ、これをあかねに、と託してきたらしいのだ。
照れ臭いのか直接は何も言ってこない父がなんとも可愛らしくて、そんなつもりじゃなかったのにと笑いながら、とても暖かい気持ちになったのを覚えている。
亡くなった人のことを思うと、死後の世界でその人の頭上にたくさんの花が降ると聞いたことがある。
本当か嘘かは、もちろん確かめようがないけれど。花が大好きな人だったので本当であればいいなと思いながら、このブログを書いている。
今週末は、久しぶりに父の実家に帰る。
父にとっても実に四年半ぶりの帰省である。
穏やかな海を臨むあの小さな港町で、父の思い出話をして花の洪水をプレゼントしてあげよう。
それがきっと、今のわたしが父にできる数少ない親孝行なのだ。