八月は夢花火、わたしの心は夏模様。

 

春夏秋冬、それぞれの季節を愛しているけれど。『夏の思い出』という響きにとりわけ胸の高鳴り感じるのは、きっとわたしだけではないはず。

 

夏の思い出、と聞くと一番に浮かぶのは父の実家がある『ユタマ』で過ごした日々のことだ。

 

ユタマは山口県の端っこ方にある小さな港町で、当たり前にコンビニはないし、徒歩圏内に飲食店なんてあったかな?レベルの田舎だけど。家から5分も歩けば穏やかな海がただ広がっている、そんなところ。

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わたしたち家族は、毎年夏休みの大半をユタマで過ごした。

 

当たり前の顔をして地域のラジオ体操に参加することから1日が始まり、祖父母宅のイヌやネコと遊んでいる間に午前中は過ぎていく。そして、甲子園を観ながら昼食を食べたら、待ってましたと言わんばかりに海に繰り出すのだ。

一言に海で遊ぶと言っても、そこでの過ごし方は様々で。磯でカニやサカナを捕まえて遊んだり、波止場で釣りをしたり、海に潜ってウニや貝を採ったり。

中々にワイルドな子どもだったので、ゲットしたウニをその辺の岩でかち割って、海水で洗って食べる、なんてこともしていた。

夕食には自分たちが釣った魚が食卓に並び、夜は花火や近所の夏祭り。心行くまで遊び疲れたら、家族5人で布団を並べて眠りにつくのが、ユタマでの1日だった。

海に行けない雨の日は、父と叔母が使っていた部屋の本棚を図書館代わりに、漫画や小説を読んで過ごすことが多かった。

真面目な2人の選書らしく、手塚治虫はだしのゲン、灰谷健二郎や遥かなる甲子園など、単純な娯楽本ではないものも多かったけど、わたしたち兄妹は、ユタマに帰る度に飽きもせず読み漁っていたのを覚えている。

 

真っ黒に日焼けしようが、海水で髪が痛もうが、当時のわたしには何の障りもなかった。

毎日ただひたすらに、遊んで食べて疲れたら眠って、ということに精一杯だった。

 

あれから月日が流れた今。祖父は他界し、祖母は施設に入っている。みんなで過ごしたユタマの家には、もう誰も住んでいない。

どんなに願っても、あの怖いもの知らずの夏には二度戻れないのだと思うと、胸が少しぎゅっとなる。

 

だけどもしかしたら。

34歳の、東京で過ごす最後の夏も、いつか振り返ったらかけがえのない夏になるかもしれないし。そう思うと、この夏も全力で楽しまなきゃもったいないよね。

 

というわけで。

未来のわたしが眩しく感じるくらいの夏を、みんなで一緒に過ごしましょうね。