家族の話をしよう。
わたしは、父と母、兄と姉がいる5人家族の末っ子で、家族に甘やかされてぬくぬくと成長してきたタイプの人間だと自覚している。
(どれくらい甘やかされているかというと、『最近多部未華子に憧れている』という話をした時に母親が『確かにあかねが一番多部ちゃんに近い』と絶賛する程度には、激甘である。)
家族はみんな大好きだし大切だけど。
とりわけ両親に関しては、人間としての尊敬の気持ちと理想の夫婦像である憧れの気持ちが年々強くなっているように思う。
両親に共通していることは、多趣味であることだ。
母は運動神経が抜群で、テニスの大会で県外に遠征することもあったし、町内の運動会に出れば歓声が上がるほどの俊足の持ち主だった。
良妻賢母という言葉がぴったりな母は料理や裁縫などの家事全般が大の得意で、実家はいつも綺麗に整頓されており、庭は母が育てた季節の草花で彩られている。最近はそれだけに留まらずレンタル菜園で様々な野菜を作っている様なアクティブさも併せ持っている。
父はアウトドアが好きで、キャンプに釣りにと休みの度に色んなところに連れて行ってくれた。わたしが高校生の頃だったか、いきなり小型船舶の免許を取ってきた父の運転で釣りに出かけたのは、いい思い出である。
また、写真を撮ることも好きで、早期退職した後は珍しい鳥や山草を撮影しに日本各地を文字通り飛び回っていた。
多趣味な両親からわたしは沢山の物を与えて貰って生きてきた。
幼少期からさまざまな本を読み、自然に触れ、旅先ではその土地の歴史や文化を学習する機会を積極的に設けてくれた。
そんな両親のもとに生まれたわたしの一番の学びは、『知識は人生を豊かにする』ということだ。
両親と散歩に出かけると、
遠くで鳴いている鳥の名前や、道端に咲く草花の話、地名の由来や歴史の話、夜になれば星の名前なんかも。
目に映るものや耳にするものの話を楽しそうに教えてくれる。
知識と興味がある。
それだけで、日常のワンシーンが新しい発見と喜びに満ちた学びの場になることに気が付いたのは、わたし自身が随分と大人になってからだった。
わたしが両親を誇りに思うように、両親がわたしを誇りに思ってくれているかは分からないけれど。せめてふたりの子どもとして恥じない生き方をしないとな、と改めて思う。
慣れ親しんだ実家のリビングでそんなことを考えるゴールデンウィークのわたしであった。