2000年代の始め頃。
"ナンバーワンにならなくてもいい"という歌詞が世の中に突き刺さり、300万枚を超える大ヒットを飛ばした曲があった。
世の中は、私たちが思うよりもっとずっと、一等賞じゃないものにも寛容なのかもしれない。
それはそうなんだけど。
一等賞になりそうでなれなくて、もう随分と長い間わたしの中で燻っている存在がある。
それは。
ビルケンシュトックのサンダルである。
毎年この時期になると、気温の上昇に比例するかの様に『今年こそビルケンを買おう』という気持ちが熱を帯びていく。
買ったらきっとビルケンばっか履いちゃうな、なんて。新しいサンダルを履いて夏をエンジョイする自分を思い描きながら、ホームページで気になるモデルをチェックし、インスタグラムでハッシュタグを追いかける。
カジュアルど真ん中なのは気分じゃないから、バックルが大きめのデザインにしよう。と、心に決めたのはこれで何度めになるだろうか。
それなのに。
本当にもう随分と長い間、もしかすると10年近くの間、何故か購入に至れていないのである。
『定番だからいつでも買えるよね』
『この値段なら他に欲しいものがあるかな』
なんて思いが、私とビルケンの仲をじわりじわりと引き離し、秋の気配が見え隠れし始めると『時期じゃないし、来年の夏にまた考えよう』と、問題を未来の自分に丸投げしてしまうのだ。
今年もまた、欲しいものリストにはビルケンのサンダルが当たり前の顔をして並んでいる。
ただ、2022年のわたしは一味、とまではいかなくても0.5味くらいは違う。
それはなぜか。
実は、
夏と呼ぶにはまだ早いこの時期に、既に試着まで済ませているのだ。
済ませているのだ、けれど。
意気揚々と試着した時のことである。
長年の思い人と対面したはずのわたしの頭の中は、意外にも疑問符でいっぱいになっていた。
あれ?もしかしてわたし、ビルケンあんまり似合ってない?
あれ?好きなファッションからもちょっと浮いてる??
あれ???
あれれ???????
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気が付けばわたしは、ニューバランスのスニーカーを買っていた。
試着をしてもしなくても、ビルケンのサンダルが一等賞になることはないのかもしれない。
だけどビルケンを履いてる人を見かけると、やっぱり可愛いと思わずにはいられない。
この夏こそ、長年の戦いに終止符を打つことはできるのだろうか。
ビルケンがナンバーワンを獲得するその日まで、わたしとビルケンの付かず離れずの関係は、もう少し続きそうである。