SNSを眺めていたら、ふと友人のツイー・・・エックスが目に留まった。
『現代の生活においての様式美』
なるほど、これは中々難しい課題ではないか。
そもそも昨今では"様式美"という言葉自体に、微量の皮肉を込めて使われることが多々あるので、正しい意味すら知らない中学生が多い可能性すらある気がする。
様式美。様式に依存する美しさ。
日本文化で言えば、能や狂言、歌舞伎などがすぐに思い浮かぶが、"現代の生活"の場合はどうだろう。
そう考えた時にふと目についたのは、手の中にあるスマホである。
多くの現代人がそうであるように、わたしもスマホ依存気味の人間で、日々SNSを通して様々な情報を得ている。
自身の年齢もあってその全てを鵜呑みにしているわけではないし、なんなら『最近の若い人たちの何と無個性なものか』という気持ちを、画面に映る若者に抱くことも少なくない。
例えば、Instagramを開いてみる。
いま話題の"映える"スポットや、"映える"スイーツがズラリと並ぶ。彼等彼女等の目的は映える写真を撮ることなのではないか、と錯覚するほどだ。
TikTokはどうだろうか。
こちらでは、皆一様に今流行りの音源で、同じ振り付けのダンスを踊っている。その流行りのの大元はどこなのだろうか、と考えても辿り着けないくらい、同じような投稿で溢れている。
トレンドを踏襲しているのは、行動面だけではない。
彼等、彼女等はバズったコスメを使い、話題のファッションに身を包んでいる。更に言えば、SNSで是とされている今風の顔になるように整形なり、加工なりを施している。つまり、ビジュアル面でもしっかりトレンドをなぞっているのだ。
今の時代、平成でいうキムタクやayuのような、圧倒的なカリスマもファッションアイコンもいない。情報を得る為にわざわざ雑誌を買うなどと、お金を払う必要もない。
誰もがSNSを通して情報を発信することが出来るし、誰もが無料でその情報を享受することができる。
そうして拡散され成熟したSNSのトレンドこそが、この令和における様式美なのではないだろうか。
つまり。
わたしが"没個性"と切り捨ててきたものたちこそが、【現代の生活における様式美】そのものだったという、なんとも寂しい結論に辿り着いたのだ。
トレンドの当時者になれないからといって、それを見下すような真似はしないように気をつけないとな、と改めて思う、8月最初のブログでした。
おしまい。