先日、一枚のワンピースを買った。
そのワンピースはある大手アパレルのオリジナルとして販売しているものだが、明らかに別ブランドの主力シリーズを流用したデザインのもので。
更にその"別ブランド"は、また別のコレクションブランドのパクりだと毎シーズン話題になるブランドだ。
以前、美大生の若い女の子に『ファッション業界のパクり文化についてどう思うか?』と質問されたことがある。
酒宴の場に似つかわしくない質問に少し驚きつつ、わたしは『何も思わない』と答えた。
そう言うと少し語弊があるかもしれないけど。
名だたるコレクションブランドが発信したデザインやトレンドを大衆ブランドがパクるのは業界の常なので『そういう物だと思っている』という表現の方が正しいのかもしれない。
世に溢れるジェネリックデザインの数々。
マルジェラ風の足袋ブーツやボッテガ風のお財布なんて、今までどれだけ見てきたことだろう。
そういう物だと思っている、と業界の体制について割り切って考えているわたしではあるけど、自分が買い物をするときは出来るだけそれらを排除するようにはしている。
『買い物は投票』
これが買い物という行為全般を愛しているわたしの、基本的な考えだ。
自分が働いて稼いだお金だから、これからも続いて欲しいお店やクリエイター、職種の人の為に使いたいと思っているし、反対にそうではない所には出来るだけお金を使わないように、と意識をしている。"お金を払う"という行為はそのブランドや企業理念、経営方針に賛同しているのと同義だと考えるからだ。
本は本屋さんで新刊を買うことも、LINEスタンプでサブスクを使わないことも、逆に、ウイグル綿問題での姿勢に誠意が見られなかったユニクロや無印を遠ざけることも。わたしなりのささやかな投票活動なのだ。
なのだけど。
実際のわたしは、その信念に幾度となく蓋をしてきた。
冒頭のワンピースも、セール価格になっていたからという理由でジェネリックデザインだと分かった上で購入しているし、ユニクロも無印も、その手軽さから購入機会をゼロにすることは今後も難しいと思う。
更に言えば、洋服以外の、例えば食器や家具、食品など自分の知識の範囲外のカテゴリに関しては、それがジェネリックだと気づかないまま購入していることも多々あるのだろう。
いつもどんな時も、清く正しく美しい企業で作られた、清く正しく美しい品だけを正規の価格で買えたら、それに越したことはないけれど。現実問題、それを貫くには余りにお金がかかりすぎる。
そんな事実に悲しくなったり、虚しくなったりすることもあるけれど、わたしはわたしのできる範囲で、清く正しく美しい消費活動をしていきたいな、とは思う。
少しずつ秋めいてきた気候の中、秋冬物を探す手が止まらないわたしの、ささやかな決意表明。